「諸宗諸派の諸仏諸天の大悲本願絶対他力のおはからいをお疑いするは、傍法五逆頭破七分阿鼻叫喚の無間地獄に落ちるは必定の、まさしくまさしく悪業大罪ということにほかなりません。」
これは日本で長い間語り伝えられている、唱えるだけで、あなたはなにもしなくても仏様があなたを元気にしてくれて、あなたはなにもしなくても仏様があなたの行動力を上げてくれて、あなたはなにもしなくても仏様があなたに一番ふさわしい行動を取らせてくれて、あなたはなにもしなくても仏様があなたにあなたの願望をすべてすぐに叶えてくれて、あなたはなにもしなくても仏様があなたを完全に幸福にしてくれる、とてもとても、ありがたい呪文です。私はおばあちゃんにこの呪文を教えてもらいました。この呪文を唱えたおかげで、行動力が低かった私は、見違えるぐらい行動力があがりました。おばあちゃんはもう亡くなってしまったけど、私にこの呪文を教えてくれたこと、私はおばあちゃんに今も感謝しています。
ちょっと難しい漢字が多いので、となえかたをリンク先で確認してください。
本当にただ唱えるだけです。
コツも工夫もいりません。
あなたが唱えたいときに、あなたが唱えたいように唱えればいいんです。
熱心に唱える必要も、頑張って唱える必要もありません。
あなたが仏様を信じてなくても、唱えるだけで効果があります。
本当に、ただ、唱えるだけです。
あなたは唱えるだけで、あとは全部仏様がいいようにやってくれるんです。
あなたは私の、この話を、信じてくれますか?それとも疑っていますか?どうして信じてくれないのですか?
お釈迦様の時代には、バイオリンは「弾くもの」だった。小マールンキャ経「毒矢のたとえ」の本当の意味。
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なぜ池田大作先生が唱題を「つらい」と感じたのか?BG理論から見た唱題行のカラクリと、池田大作先生の「荒野の誘惑」
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創価学会は「日本の国教」になるはずだった。池田大作がその生涯でたったひとつ犯した「傍法」の罪について。
まだスタブですが、「絶対に」良い記事を書きたいと思っています。
私は非学会員で、学会シンパでもあり、また「アンチ」学会でもあるのですが、(そして仏教シンパであり、「アンチ」仏教でもあります。この二重性・矛盾がわたくし「アンチ」のアイデンティティでもあります。)この記事はすべての学会員の方に読んで頂きたいと思っていますし、それが学会の一層の隆盛にお役立ちできると考えています。
私は池田大作先生の文物には大変な敬意の念を抱いています。
もちろんだからといって池田大作先生のすべてを肯定するわけでもありません、批判すべき点は批判させて頂きたいと思っています。
わたくしが決して悪意でこのような記事を書くつもりがないことをご理解ください。
ポイントはやはり「傍法」です。
「傍法」以上の罪など、この世にはないのですから。