「として」の構えメソッド、またはアンチ式「なる」メソッド
「として」の構えというのは「なる」を私なりにアレンジしてアンチメソッドシステムに組み込んだものである。
基本的に「なる」は難しいので私は推奨していない。
私たちは常に「として」生きている。親の前では子「として」振る舞い、子の前では親「として」振る舞い、上司の前では部下「として」、部下の前では上司「として」、恋人の前では恋人「として」振る舞う。
さてあなたたちは願望を「叶えるために」メソッドを実践しているわけだが、願望を「叶えるために」メソッドを実践するのは、ちょっと考えればわかることだが、実現のためによくないことだ。
なぜならば、「叶えるために」という態度には「まだ願望が叶っていない」という「前提認識」が含まれているからだ。
私たちはメソッド実践を「叶えるためにメソッド実践を頑張る自分」「として」行ってしまいがちである。
だからそれをあらためて「もう願望は叶っている(叶うことが確定している)けれども、まだ趣味か何かとしてメソッドを楽しんでいる自分」「として」メソッドを行うことが実現によいということなのだ。引き寄せの法則を信じるならば、これは「きわめて論理的な結論」であってそうトッピな話ではないだろう?
つねに自分が「叶えるためにメソッドを実践する自分」「として」構えていないかどうか確認し、もし「叶えるためにメソッドを実践する自分」「として」構えていることに気づいたら、慌てず騒がず淡々と、その都度その都度「すでに叶っている(叶うことが確定している)自分」「として」構え直すだけだ。やがて「すでに叶っている(叶うことが確定している)自分」「として」構える方があなたに定着してくる。(反復の法則だ)
これがAMS最高難度のメソッドである<「として」の構えメソッド>である。
やらなくても実現に支障はないので、興味のある人間だけが実践すればいい。
そういうメソッドもアンチメソッドシステムには組み込まれているのだということだけただ知っておけばいい。
参考リンク(もし「として」の構えを実践するならば、絶対読んでおいた方がいい)