あの夜空の輝く星に、願いを込めて。

願いの届け方を忘れてしまった「あなた」に、私はそっと耳打ちをする。他の誰にも、聞かれないように。

自愛(自己肯定感)の高まりと、現実を疑う(因果律を否定)することの関係

自己肯定感(自愛)と「現実を疑う」あるいは因果律の否定は密接な関係があると思う。
199氏が「なぜだかわからないけど~」という枕詞をつけたらうまくいったというような趣旨のことを書いていて、199式を実践する人々にもそれをマネする人が多いのだろうけど、この枕詞が効いたのは199氏が複数のメソッドを実践した結果波動が上がった、言い換えれば自己肯定感が上がっていたという下地があってのことではないかと私は思う。
どういうことかといえば、自己肯定感がとてつもなく高くなると、自分の願望実現の障害になりそうな現実を疑う気持ち、ある言い方をすれば「ポジティブな疑い」ができるようになるのではないかということだ。
199氏の場合でいえば、「こんなに幸福な自分がお金を手に入れられないということが本当にあるのだろうか?」といった具合だ。
逆に言えば自己肯定感が低い状態で「なぜだかわからないけど~叶った」と唱えても「わからないのに叶うわけないだろ」という念が生まれるだろうし、「本当に私はお金を手に入れられないんだろうか?」と疑ってみても「手に入れられないに決まってるだろ」という念が生まれてしまうというわけだ。
結論付ければ「自己肯定感向上」+「現実を疑う(自分の認識を疑う)」というコンビネーションの実践が有効ということ。

自分を信じる気持ちが高まると、現実を疑う気持ちが高まる、ともいえる。

限度を超えた自己肯定感は、環境のリアリティをも浸食しはじめる、ともいえる。

自愛はこの世界のすべてを溶かすアクアレギア。
愛に溶けた世界はどのような形にも望みのままに作り直すことができる。
それが愛の錬金術